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世界の旅−2
フランク・ロイド・ライトの旅 アメリカの旅 ニューヨークの旅 レストランの旅 建築家の旅 [自然の中に建築がある」/建築作品の紹介 塚口明洋建築研究室について 「ライト仮面の生涯」ブレンダン・ギル著/学芸出版 フランク・ロイド・ライトとの出会いは、1967年ぼくが大学に入学した年でした。 今から40年前、 ライトの帝国ホテル が取り壊された年です。 1968年には、大学の住宅設計課題でライトのユーソニアンハウスを参照した 住宅を設計しました。今でも気に入っている住宅です。 近代建築の3巨匠として、ライト、コルビジェ、ミースの3人の名前があげられ ますが、3人の建築を見て回って感じたことは、3人の中では、いまでもライトの 建築が、一般の人からは圧倒的な人気を得ていることです。ライトの建築は 観光名所として沢山のファンが押し寄せています。日本では芦屋の旧山邑邸(今は ヨドコウ迎賓館になっています)、東京の自由学園明日館がライトの遺産として 見ることができます。 一方コルビジェの建築は、建築家が訪れるようです。コルビジェの建築には 20世紀の建築をつくり出す多くの試みが見られて興味深い所があります。 東京の国立西洋美術館は、美術館建築として傑作です。 ミースの建築は都市の中でエレガントに存在し続けています。シカゴのフェデラル センター(連邦政府センタービル)、ニューヨークのシーグラムビルは20世紀を 象徴する建築です。残念ながら日本にはありません。 近代建築が、過去の様式建築に変わり主役になった時に登場した建築家に、僕の 好きな建築家ルイス・カーンがいます。どの時代にも優れた建築は存在します。 近代建築が国際様式として普及した中で、近代建築が忘れかけていた建築の力強さ、 魅力をもう一度思い出させてくれました。 世界の建築を見ていていつも感じることは、どの時代にもどの国にも素晴らしい 建築があることです。とくに 宗教建築の、何年にも渡り、変化しながらもいつも 自立した強い象徴性を失わない姿には感動します。 2008年11月7日追記 2006年8月にマディソン、ピッツバーグ、ボストンから エクセター、セイラムを旅しました。 アメリカの北東部は東に行くほどイギリスの風景に似ていました。 2006年8月16日ピッツバーグに到着しました。 空港からタクシーで20分ほどでまちに着きました。 1フランク・ロイド・ライトの落水荘 ピッツバーグから車で一時間半ほどのミルランに 落水荘があります。(朝の6時にホテルを出発) 8時出発の2時間コースに参加しました。 この2時間コースは写真がとり放題で日本人にとってはうれしいコースです。 2落水荘のビジター・センター 落水荘はライト復活の伝説的な建物で当然訪れた人を 感動させます。 ビジター・センターは,ライトの設計ではありませんが自然の中の建築の 存在の仕方としては今までにあまり見たことのない美しいものでした。 3ピッツバーグのまち ピッツバーグは中心部は二つの川ではさまれたリバーサイドフロント の美しい街です。古くからの工業都市のために,都心を離れると 打ち捨てられたような工場の汚れたまちが目につきます。 川向かいの再開発されたグランドコンコースは開発の成功例ではないでしょうか。 2006年9月5日 #
by tsuka7071
| 2015-12-24 05:46
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美術館の旅
ヨーロッパの旅 ロンドンの旅 パリの旅 病院の旅 [都市の建築」「建築の中の都市」/建築作品の紹介 塚口明洋建築研究室について 2006年7月3日から旅のブログを始めました。 オシムさんが日本代表監督に就任されることが決まった時からです。 ぼくがサッカーを始めたのは1974年ワールドカップ西ドイツ大会のときです。 ちょうど大学をでて就職した時です。 オランダのクライフが何と言っても最高の選手でした。 そのとき買った本の著者が、クラマーさんでした。 よくTVで岡野俊一郎さんの解説の海外の試合を見ました。 そして、1993年ドーハの悲劇のオフト監督の出現まで20年が経ちました。 2006年オシムさんのサッカーは恐らく日本サッカーの次のステップを築く ものだと確信しています。 昨日夕方のTVで、映画監督として活躍された田中徳三さんが脳出血で 亡くなられたのを知りました。この10月27日にご一緒にライトの山巴邸を 見学した時にはお元気だったので驚きました。 田中監督はスポーツ観戦が好きで、よくぼくに「オシム監督はどうですか。」 と聞かれたり、ご一緒にサッカー日本代表の話をさせていただきました。 年に二回お会いしていた定例の会合がなくなるのは寂しい気がします。 今日はそんなことを思いながら過去の旅のブログに書き込みました。 2007年12月22日追記 2004年7月にブダペスト、グラーツ、ザルツブルグからシュトゥットガルトを旅しました。 オーストリアのグラーツは、優れた芸術感覚を持つオーストリアの中でも、もっとも洗練 された独自の文化を持っています。 1グラーツ美術館 建築家ピーター・クック 2003年 「かぜの谷のナウシカ」にでて来るムシを思い出します。 カフェで日本人アーチストに会いました。この美術館は使い方が難しいとのこと。 2ハウプト橋水上劇場 アーティスト ヴィト・アコンテ 2003年 ムール川に浮かぶカフェと野外劇場。橋の役割もしています。 3ボタニカルガーデン(温室) 1995年 建築家ボルカー・ギーンケ アルミの構造体にアクリルパネル、生き物のようです。 4グラーツの病院 建築家ギュンター・ドメニク 2002年 透明感のあるわかりやすく気持ちのいい病院です。赤いモニュメントは内臓でしょう。 5グラーツの広場 広場にはいつも人がいっぱいです。 2006年7月3日作成 #
by tsuka7071
| 2015-12-22 12:40
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駅舎の旅
町の旅 広場の旅 市場の旅 コンバージョンの旅 [人がいて建築がある」/建築作品の紹介 塚口明洋建築研究室について 2007年8月21日から8月31日にミュンヘン、フライブルク、 シュトゥットガルト、フランクフルトからケルンを旅しました。 8月29日13時10分のDBでケルンに向かう。14時40分ケルン到着。 ケルン駅はヨーロッパではめずらしくターミナル(終着駅)ではありません。 駅舎の屋根は今はやりの構造体で出来ていました。 2008年10月16日作成 #
by tsuka7071
| 2015-12-15 15:00
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シカゴのスカイライン
都心に平行してあルウォーターフロントの公園から見る 大阪の姉妹都市シカゴのまちには、多くの19世紀後半から20世紀前半の建造物が 今も使用されています。このことは建築の耐用年数の問題ではないように思います。 シカゴの人たちが、まちのあり方について考えてきた結果であると思います。 大胆な技術的挑戦とともに、今存在する建造物に対する敬意の表れであると思います。 以下に、シカゴの人たちが創造し、大切にしてきたいくつかの建造物を見てみます。 3月16日から始め予想外に長くなってしまったシカゴの旅を終わります。 当時のシカゴの様子は、「ライト仮面の生涯」をお読み下さい。 オーディトリアムビル(1889年) モナノドックビル(1891年) リライアンスビル(1895年) シカゴトリビューンタワー(1925年) ミシガンアヴェニューブリッジとリグリービル ループ シカゴ建築財団 God Bless America(2008年) アメリカンゴシック(1930年) カルダーのフラミンゴ ピカソ ミロ フランク O. ゲーリーのミレニアムパーク シカゴマリーナシティー パーマーハウスヒルトン シカゴウォーターフロント オールドタウン IITキャンパス マコーミックトリビューンセンター ヒューゴズ・フロッグ・バー シカゴドライブ #
by tsuka7071
| 2009-07-28 15:00
| 世界の旅
シカゴのF.L.ライト−6
41 James Charnley House Chicago 2009年2月11日(水)から19日(水)に、妻が企画したF.L.ライトの 建築の撮影でシカゴを旅する機会がありました。 妻が、この7月10日にF.L.ライトについて書かれた本の翻訳本を出版しました。 数日前までの雪景色が嘘のように、暖かい日が数日続き、いい写真が撮れ たようです。 チャーンリー邸は、サリヴァン事務所に勤めていたときにライトが設計した 住宅として有名です。正式にはサリヴァン事務所の設計と言うべきでしょう。 1988年、シカゴの大手設計事務所SOMが買い取り修復しました。 #
by tsuka7071
| 2009-07-27 15:00
| 世界の旅
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